CG表現はハイエンドなものを突き詰めようとしたときには際限が無い一方で、素朴なプリミティブの配列で表現が可能かを試す機会は少ないかもしれない。 一般的にCGを学ぶときに挙がる、例えばゲーム産業を想定した武器、キャラクターのモデリングはときにゴールまでたどりつくのが遠いし、CGという素朴なデータ構造についていろいろ無視して進めざるを得ない。もっとじっくりとポリゴンを確認し、パストレースを現象として眺められないだろうか。そして、強固に単線化されてしまった「作り方」に対して自由になれないだろうか。

空間を構成的な切り口でアイディアを提示することは、ずいぶん前にやり尽くされてしまったかもしれない。ただ過去の表現を参照した上で、媒体違いであっても今失われがちな表現を見直すのに役に立つ場合もある。例えば、アメリカのアーティストであるDonald Juddを見てみる。

  • プラスチックやスチールなどの既製品をただ空間を区切るというアイディアを表現した(内部の空間を満たさないことは、それ以前のブロンズ像などの主流の表現と対比された。内容物=コンテンツが無いという批判もあった)
  • 重力という支配的なベクトルに対しても自由であろうとした(実際には自由ではないが、中空に浮かすような演出をとった)
  • 金属、透過する素材、基本的にはフラットで光沢のある素材を用いて光とのインタラクションを純粋に提示した

ただし彼の作品がクールに見えるとしたら、光源の設置方法やカメラマンの技量にも意識を配る必要がある。とりえる構図的調和や色彩を見せるための明るさの設計がないと彼の作品の良さは引き出されないだろう。 彼のアイディアは不思議と、CGのチュートリアルとして良く機能しうる。例えば何か新しいCGソフトを触り始める作例として以下のようにインストラクション可能だ。

  • シンプルな立体を空間に配列する、あくまでまっすぐに並べるだけ
  • シンプルなマテリアルを作成してアタッチする(テクスチャは使わず、透明な材質や金属的な材質を意図的に選んでみる)
  • ライトをいくつか用意し、光とマテリアルとのインタラクションを試す
  • 好ましい画角でレンダリングする
  • (コントラストや彩度を調整してみる)

平面作品から3DCGになるときに単純に次元が増えるだけではなく既知の制約が増えることにも気づく。まず地面が欲しくなるし、影がない世界は好ましくない。天地(=重力)という強力なベクトルの存在、陰影による構造や奥行の認知的解決がないと表現が難しくなる。また、環境の中で光がどのような経路をとり、カメラに入るかという現実とのアナロジーがCGツールに根深く入り込んでもいるはずだ。レンダリング・アルゴリズムを通して光と影の細かな美的特性、また人間の時空間の認知が数理的に説明できるかを学べるかもしれない。

当然CGの場合は、そのあとにどのように活用するかは自由であるから自由な表現をするべきだと思うが、レンダラー、パストレーサーを使う限りにおいて明らかになる制約を見てみると、そこから批評的に考えるきっかけや、手垢があまりついていないデザインや構図のアイディアに行き着くかもしれない。

こうした観点でDonald Juddの他にも、Dan Flavin、Tony Smith、Sol LeWittらの立体作品をCGでトレースするのは良い教材として機能するのではないかと感じる。