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授業運営は創造的でありうるか。 授業を作品のように一人の運営者(教員)の創作として位置づけられるかは意見が分かれるが、そう認めてもよいように思う。授業とは、制度設計の上に成り立つ制度設計であり、その小さな単位だ。

若い受講者に対峙する場合、その未来に多少なりとも影響を与えるし、制度における評価を残す立場でもあるから1、社会的責任はある程度大きい。ハラスメントのように、立場の勾配を利用した悪質な人権侵害は、最も厳しい目で糾弾されるべきものだ。この意味では常に緊張感が伴い、授業運営を講師のアーティスティックな表現や実験の場ととらえることは拒絶されうる。

しかし、不確実性が前提となる中での制度設計は困難を極めており、授業(連続的な講義)も時代への応答性、ひいては創造性や即興性が求められるフォーマットとなっていることは認めたほうが、健全な授業運営に近づくように思う。学術研究者の場合は、自分の研究資産を教材として提供するだろうから、作家性も自ずと帯びてくるだろう。また、教える側と教えられる側は白黒はっきり境界があるというよりは、教育者も答えのない現場で学習しながら現状のベストを提供しているという点で、制度設計の内側にいる学徒でもある。そのため生徒と視点が相似するところも多い。

私は偉そうに講釈できるほどの人間ではまったくないし、肩肘を張ることからは可能な限り距離をとりたいと思っている。自分より技巧的に優れた表現技術を持つ生徒にも毎年のように出会う。それでも教育には、可能な限り謙虚かつ利他的に関わりたいと思っている。大学でプログラミング的思考に関する授業運営をするようになって4年目になる。表現的機能を着地点としたプログラミング──Creative Coding──や、ノードベース環境のツールを使ったワークショップ、ハンズオン形式の授業を行っている。研究や社会とのつながりへ進む前の、基本的なリテラシーに類する科目であるが、陳腐化しやすいテクノロジー領域の道具に局所化してもいる。

授業内容は結局のところ、毎年変更せざるを得ない。シラバスを変えないこともできるだろうが、前年の反省を踏まえたり、自分の興味やニュースに反応したりしながら、更新していく必要がある。また技術領域の話題、昨今はとくに生成AIの話題が、創造する行為全般に無視できない問いを矢継ぎ早に投げかけてくる。教育という制度に関しても重要な問いだ。

p5.jsは、プログラミングを基軸として同時代的なデザインとアートの制作手法をわかりやすい形で提供するという、教育的な観点から整備されている。ただ、p5.jsをどのように教えるかの設計は案外むずかしい。プログラミングなのだから、言語仕様からたどって文法的意味や構造体やクラスの細かな特性、参照とコピー、計算量の問題など、ややこしいが実務的に重要な問題や、デザインパターンなど、もっとコンピューター・サイエンスの話題に分け入っていくこともできる。2 ただ、こうした抽象概念を学ぶこと自体を目的とするような設計は、美大やリベラルアーツ系の授業方針としては得策ではない。難易度とモチベーション維持のバランスが悪くなってしまう。かといってチュートリアル形式でステップバイステップのレシピ解説をしても、自律的な制作態度を涵養できるとは言い難い。

方法論として、まだ有効に思うのはConstructionism(構築主義)、project-based learningなど、所与の課題について作りながら自身の制作を組織化していくような教育手法だ。細かいものづくりの方法論(例えばプログラミングの文法的規則など)も、今の制作に役立つものを発見的・選択的に理解していく。その過程に対してうまく道筋を提供できるような課題を考える。自身の学習を思い返してみても、内発的な動機で手を動かしながら幾度ものデバッグを経て、少しずつフォルムが彫刻されていくような時間、それと健全なフィードバックの時間があってこそ、実用的な技術習得の実感が得られたように思う。

Creative Codingの教育に関する制度設計は、「Code as Creative Medium」でゴラン・レヴィンとテガ・ブレインが具体的に示している3。教員のためのあまりによくできた事例集になっているので、教員の思考力を奪っていそうな気もするが、それぐらいよくできた本だ。NYU ITPSFPCといったライブラリ開発者、OSSコミュニティ運営に近接したアート・デザインの教育現場における蓄積を持ち帰りながら授業設計をおこなう例も報告されており、こうした現場でのレポートはまず第一の参照になる。4

デザインやアート系を学ぼうとする者でも、実践的な制作手順や、最短でクールな結果を得られる方法論を求める風潮があるし、実際そうしたニーズを重んじる態度も理解できる。しかし、そうしたニーズや求めるテイストは極端に個別化されるし、時代によって残酷なまでに移ろいゆく。目先の方法論の習熟の有無で将来への危機感を煽る言説を見聞きしたら、あまり真に受けないほうがよい。そうした短期的な視点でのパッケージよりも、

  • 今の自分には何が必要で、問題に対してどのような個別のアプローチを開発できるか
  • 既知の知的・芸術的資産を、個人のスタイルとしてどのように磨けるか

という試行錯誤のプロセスを自分で経験的に理解することに授業の大きな意義があり、これを毀損してしまうのは最も避けたいこととなる。

だから今の授業は、以下のようなプロセスで運営している。

  • お題Xを提示する
  • お題Xに対する筆者の作例や、過去の作家の作例を紹介する
  • 技術的なコンセプトをいくつかの作例を通してハンズオン的に説明する
  • お題Xに対する制作を行い、1週間後の提出を依頼する
  • お題Xを「展示のコンセプト」と読み替え、成果物を一覧し、相互にフィードバックをおこなう

これをいくつかの段階に分けて用意し、少しずつ大きくしていく。不確実な中でテクノロジー領域における具体的な道具を学ぶという、規定の制度設計がある。上記のプロセスは、素朴なモチーフワークに過ぎないかもしれいない。当たり前すぎる。ただこのお題Xを以下に時代やその時々の受講者に反応して作らられるかが問題として再帰的に現れる。この点において、やはり授業はお題Xをシリーズとして計画する、作品単位として語れるだろうし、そういう目線で様々な教育者とも対話できたら、生徒と相似の実践者として楽しさを共有できるのではないだろうか。今年提示する授業に関しては、このサイト上で紹介、整理していくので参照いただければ幸いだ。

Footnotes

  1. この点に過度に敏感な学生も見受けられる。自分も生徒だったころは、授業の意図に過度にはまろうとしたり、逆にこれみよがしに反発していたりしたかもしれない。

  2. 自分は今でも 「Effective C++ 第3版」や「Game Programming Patterns──ソフトウェア開発の問題解決メニュー」はめちゃくちゃ名著と思う。非工学系の出自の自分が工学的なアイディアに感動できたし、若い頃の実務においてとても役立った。こうした本で得た感動も教えたいという欲望も根強く持っていたいものだとも思う。

  3. ゴラン・レヴィン、テガ・ブレイン著「Code as Creative Medium──創造的なプログラミング教育のための実践ガイドブック」、澤村正樹、杉本達應、米田研一翻訳、BNN inc., 2022年。

  4. 本記事の執筆後に松浦知也さん本人に教えていただいた授業運営を指す。Taeyoon Choiやその背景にある教育思想を踏まえながら、電子計算機におけるプログラミング教育を創造的に実践しているようだ。 松浦知也『次の Thinkerer のために – 「コードとデザイン」授業設計の覚書』、AMC Journal Vol.5/2025 p.76、東京藝術大学芸術情報センター、2025年。