Processing Community Day Tokyoをやります

現在Processing Community Day Tokyoを有志で企画しており、近いうちにリリースが出せる。予めお伝えしておくと、素晴らしいアーティストや研究者たちが参加してくれる予定となり非常に良いものになると確信している。Processing Community Dayとは、オープンソースのプログラミングツールキットのProcessingを中心としたコミュニティイベントであり、Processing Foundationが同じ時期に世界でサテライト開催をよびかけている。その運営は自然発生的になるが今の所100以上の都市が開催登録している。第一回はTaeyoon Choi氏とProcessing Foundationによって企画・運営されMITで2017年10月に開催された

東京開催における中心的な運営は、中西泰人先生と稗田直人さん、それに私で(なんとか…)とり行っている。中西先生はHCIの研究者、教育者として第一線で活躍されていることに加え、『Processing:ビジュアルデザイナーとアーティストのためのプログラミング入門』を監訳されたその人である。稗田さんは工学をバックグラウンドにしながら、国内外でアーティストとして生き活躍されている。その素晴らしい実装力と審美は作例をみればわかると思う。加えて協力を名乗り出てくれた方々が数名いる。運営のメンバーはみな素晴らしい能力と実績を持っており、かつとても多忙なのにもかからわず、当然のようにボランティアでコミットして頂いている。ちなみに上のバナーは協力を名乗り出てくれた梶田悠さんにチョッパヤで仕上げていいただいたものだ。

なぜ面倒な思いをしてもやりたいのかという問いに対して明確に答えをもらったわけではないが、おそらくProcessingとそれにまつわるCommunityに貢献したいという思いを共有できているからだと思う。Processingという存在への強い思いを持つ方は少なくなく、多くの優れたクリエーター、アーティスト、研究者たちがワークショップやキーノートの依頼を快諾いただけのもおそらく、”Processing Community”へ貢献できることが彼らにとっても十分にモチベートされることなのだと推察される。Processingはオープンソースであること、デザインとプログラミングを結びつけるツールであること、教育のためにデザインされていることなど、多くの人にとって様々な興味深い側面を持つ。プログラミングは(当然だが)非常に創造的活動であり、かつ、それを通じた表現が多くの人たちとのつながりと共感を生めるということはProcessingというツールによって広く共有された。そうしたことは改めて強調する価値があるし、新たに生まれ続けている発見や喜びについて広く共有する場があれば、これほど素晴らしいことはないと思い企画を決めた。

Processingは人生を狂わせた

Processingによって育まれた美しい成果物や 、活動するクリエーターたちのありよう、Generative Art/Creative Codingといったコンセプトが、私の人生を予期せぬ方向に動かしたと言ってもいい。おそらく自分にとって人生のゲームチェンジャーは『[普及版]ジェネラティブ・アート―Processingによる実践ガイド』という一冊の書籍だ。この本(原著や初版ではなく日本語の[普及版]の方)が出版されたころ、新卒で入社した社員規模6,000人超の企業で働いていた。当時、給与や設備など比較的恵まれた労働環境だったにも関わらず、大きな会社の完成されたシステムの中での仕事にはいつまでたってもやりがいを感じられず生産性を高く保てていなかった。余暇の時間は、人並みに様々なことに手を出したし(音楽にかなりハマった時期もあったが)、数ある余暇の遊びの中でなぜか異常なほどハマり時間を忘れるほど没頭したのが、前掲の書籍から始めたProcessingでのコーディングだったように思う。自分は完全に人文系の出身であり、プログラミングを学び始めたのは業務でアプリを運用したりデータ構造を知る必要があったためで、AndroidアプリをつくりながらJavaを学んだ。大小の構造的課題を解決しながら外観や機能を創造していくプロセスはプラモデルやレゴを組み立てているような作り上げることへの純粋な喜びがあったものの、それを役立つ・日常的によく機能する「プロダクト」に昇華させるには途方もない壁があるように感じられた。そんな思いのなかで、書店に並んでいた本に何気なく手に取ったことのタイミングが完璧であった。

自分では(人を経済的に生かす術が社会にほとんど無いと、皮肉にもそれを深く学ぶ過程で痛感したために)不要のレッテルを貼らざるを得なかった美学・芸術学の議論と実践が、プログラミングという手法で、しかも非常に興味深い語りとして紹介されていたからだ。加えて、誰でも手に入る無償のツールと、(少なくともアプリ開発よりは)とてもシンプルで簡単なコーディングによって実現している。この本の素晴らしいところは、芸術哲学のなかでも非常に興味深い議論と、プログラミングとの関係性について端的に意見を述べて、さらにコードと動くデモを紹介していることに尽きる。今だから言えるが、業務用のPCにもダウンロードしてミーティング中もサンプルを写経してコードを走らせては感動を味わっていた。

Processingできる芸術実践の線上には、音楽と連動したAudio Reactive / Visual Musicといった元バンド野郎の心ゆさぶる領域や、世間を景気よく賑わし始めた「メディア・アート」/ New Media Artという領域が用意され、アートシーンだけでなく、規模的にも経済的にも巨大な広告/PR/商業デザインにも重要な接点があることを直観できた。安定した会社で働くのを辞めてでも、時間をとって追求したいと思うには十分にロマンを感じる領域だった。興味深い事実として、工学系の大学と美術系の大学がともにプログラミングを教えるのにProcessingを採用しているケースが多く、それは良い領域横断の端緒となるように思う。

余談だが、その後は、現代の職業”不”安定所、思想ダーマ神殿、珍獣パラダイスことIAMASを発見し入学を決めるまで時間はかからなかった。IAMASについて書こうとすると本筋からそれまくるので切り上げたいが、自分の興味を追求する研究と制作に没頭できた。ちなみに修士研究はGenerative Artの様式を歴史分析しながら、自分のデータビジュアライズのインスタレーション作品とを関連付ける、というものになった。加えて海外留学や展示の機会なども多く提供され、十分な経験と人とのつながりを得られたし、実際に今の仕事のほぼすべてがIAMASの縦横のつながりで頂けている。(さらにもっと言うとIAMAS出身の堀宏行さんや清水基さんという界隈のキーパーソンが非常によくしてくれて、仕事だけでなく新たなコミュニティの接点をいただけた。)

Community Dayってなんだ

コミュニティ(オープンソース・コミュニティとか)とはなにかを語ることはかなり難しいし、それはただのセクションを生んでしまうかねないので早々に考えるのをやめた。そのかわり、どういった人たちがどういう思いでツールからモチベーションを交換し創造的になったのかということが、お祝いの場のように楽しみながら共有できる場作りが重要であると認識している。結果的におそらくオンラインでは見知っていた同士が実地でつながるというようなことが必然的に起こると思う。

一方で書籍やインターネット上で素晴らしい作品やリソースを公開している方々がすぐTwitterや活字などですでに「見えている」ことは大きい。海外だとDaniel Shiffman氏やManoloid氏など非常に質の高い成果物をコンスタントにオンラインに放っているし、少しWebを掘ればざくざくアーティストと作例を見つけられる。あまり直接のやりとりがないのに「まじで最高っす!ヤバイっす!」と言うのはなんとなく気恥ずかしいが、P5Aholic(なめらかサンショウウオ)氏やYoppa(田所淳)氏の作品群およびWeb上のリソース、久保田晃弘先生の監訳本、BNN出版の優れた類書は、自分だけでなく確実に多くの人に創ることへのモチベーションを与えている存在のように思うし、称賛してもしきれない。そしてそうした稀有なプレーヤーたちを今回のProcessing Community Dayに招けるであろうこと、それをみなさまに伝えられるであろうことは本当に嬉しい。

企画の上で最も気にかけたことは、単方向にならないことだ。ただ著名な講師が来て話すのではCommunityのための日ではない。誰が何を思いどういったプロセスで活動しているかを知り、自分の考えもぶつけられる、誰しもが能動的に楽しみながらCommunityを盛り上げられるような設計をこころがけ、鋭意調整を進めている。ぜひ多くの方に参加をしていただき自身の取り組みや展望を紹介していただきたい。

2019年の2月2日はぜひProcessingを肴に、コーディングと創造性、生き方や考え方の多様性と個性について、多くの方の意見を交換できたら幸いに思う。正式なアナウンス前にこうしたことを個人的に書いてしまうのは気が引けるが、告知的にも少しは前に進めねばという自分へのプレッシャーも込めつつ。